礼拝説教 

2015.4.12

説教題『復活の顕現』     

聖書 列王記      7:1〜16

   ルカによる福音書24:13〜35

   ヨハネの黙示録 19:6〜9 

説教者:藤田 清牧師

 

 先週はイエス様が死者の中にはいない墓の中にはいない、生きておられるとの喜びの声を聞いたわけであります。 

 主は今も私たちと共に精霊のキリストとして私たちの心の中に私たちの生活の中にともに親しくいてくださいます。

 イエス様はすべての人の心の扉の外に立っておられます。イエス様は戸をこじ開けて入ってこられません。そのドアは外からは開かない。中からしか開かないドアであります。そのドアを私たちは中から鍵を開けて、自分の自由な意思で、「イエス様、私の心にお迎えいたします。どうぞ、お入りください。」と、言って、心を開き扉を開けイエス様をお迎えしたのであります。

 ここではエマオの二人の弟子はこの一週間の出来事を良く知って、イエス様とは知らずに「みんな知っているのにあなたは知らないのですか、あなたはどうしてわからないのですか。」と、イエス様に尋ねています。それでもこの二人は、苦難の僕はどうして苦しみを受けることになっているのだろうか。イエス様はどうしてこういう苦しみの果てに死ななければならないのだろうか。というような過去にばかりとらわれていました。

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 平凡な穏やかな幸せ、これをわたしたちは望んでいます。

 しかし、キリストが私たちのすべての罪を引き受けてくださったのでもう私たちは幸せいっぱい喜びいっぱい後は生涯平安で豊かで楽しい生活だけで送らせてくださいという思いでいいのでしょうか。

 神様、平安をお与えくださいと言った私たちにとって神様との恵みの出会いは感謝であります。

 しかし、なお体を前に向かって伸ばし天の栄光を目指し墓にとらわれることなく、まさに体を打ちたたいてイエス様に従っていく信仰生活を歩みたいものであります。(要約)